永井機械製作所が断裁機メーカーに転身し、業績の上昇による断裁機の製造の伸びに伴い、鋳物の仕入れが大幅に増えました。しかし、鋳物の生産が追い付かず協力会社の納品が遅れが発生するなど、生産に支障をきたすようになってきました。 そのころ鋳物工場建設という夢を持ち続けていた、鋳物の職長から隠居をしていた創業者永井政一の父 徳次郎は、永井機械製作所が拡張期に入ると「そろそろ鋳造を手掛けたらどうか」としばしば口にするようになりました。 そんな気持ちを汲んだ実弟の永井辰雄は、小林鋳工所、名倉鋳工所と、二年間勤め鋳造技術を身につけました。そして、昭和28年、職長に西沢安義を迎え、徳次郎の悲願であった鋳造部を開設しました。 開設し初めて甑(こしき。小型のキューポラ)から出た湯(溶けた鉄)を見たとき徳次郎はたいへん感激し、永井政一、辰雄には忘れられぬ喜となりました。 鋳造部門を設けたことで、鋳物から完成品までの一貫生産という永井機械製作所独自の「一貫したものつくり」がスタートし、品質と信頼性、耐久性の実績を積み上げ、今もなお、「素材」にこだわる「国産鋳物」を使用して生産を続けております。